昼
信じられないくらい何回もコピーしてへとへと
夜
ワークショップに行く。中途半端なことは着想概念実現レベルすべてにおいてやるなよ、という姿勢が一番の収穫だった。自己認識の甘さも気に触るようだった。
煮詰めた音楽とそうでないものは一瞬で違いがわかる、というのはやはりそう。
しけた夜だな〜と思いながら家に帰ってLIVE映像を観る
同じ揺らぎに遭遇するのに飽きてきたので、そこから抜け出す心の持ちよう/日々の比重を錬成してみることにする
何がどうなれば自分にとってよしということかを考えてみた
言ったことになってる、みたいな姿勢は取りたくない
どうすれば「言った」になるのかは考えた方がいい、というかこれが本質?
伝える必要はあるのか、伝わってないことは問題がないのか。伝わらないこともまたよし、という姿勢はあってもいい(という文脈を学んできたから)けれど、それが常道である事態は自分的に嫌
伝わった、と、言った、は違う段階の話なので分けて考えたい。多分基礎は「言った」の方でこれは絶対に必要な気がする
言ったことになる、だけは避けたい