Technique-600THz

前夜すべて

4.15

ロバート・グラスパーのライブに行ってきた。

授業までレジュメを作成していたが、早々に詰みが発生した。そういえば今日やる舞台は都合的に授業までの間で観劇できるな〜と思ってたんだった、などとチケットサイトを見るも当日券完売だった。が、そのままビルボードのサイトを見て、寝不足で回らない頭のままチケットをとっていた。今日の午前のこと。

 

音楽が/演奏が一体になっている、とか言うが、何が一体なのかというのは実のところ曖昧模糊としている。領域を広く持った線は確かに複数ではあって、プレイヤーがインプロをする形式では特に複線、複層性が強まる。その個々の音楽が絶えず形を変えながら一点に向かうときの時間のかかり方はバラバラで、しかしバラバラであるが故に、各々の持ち出すフレーズや時間の流れが互いに影響を与える。相互作用という言葉の便利さは、過去が現在に、現在が未来に与える影響、といった時間の複雑さを丸め込んでしまう。

 

ドラムもベースも手元がガチガチに見れる席だった(逆にグラスパーの手元は見れなかったけど)。ジャスティン・タイソンの攻めの姿勢がかなりみられて、トリオが彼を軸にじりじり動いていくのがわかった。途中グラスパーと正面衝突してる所があったり。

ベースをやっていてよかったな〜と今日ほど思う日はない。トラヴィスの繊細な手つきと多様な音色がどう結びついているのか、見ただけではわからないということがわかるから。多弦ベースの上、エフェクターで遊ぶところが主の箇所もあって、うーーん想像力の必要な楽器だな、と思わされた。

 

グラスパーの持つ音の紡ぎ方というのは、最早手なりかどうかを問わないような、そういう旋律の提示の仕方かもしれない。手なりであることがわかりもするが、手なりであることでのデメリット、価値の低下、音楽内容の薄さ、みたいなものがあまり無い。演奏のスタイルというよりジャンルが関係している気がする。あと思ったより鍵盤楽器の人ではなく歌の人だった。旋律が歌に近い形。

ジャズ寄りのジャンルにDJがいるってどんな感じかな〜と思っていたが、本当にライブの時空間を操っていた。めちゃくちゃ盛り上がるとかも普通に構成力の妙だが、演奏時間とそのほかの時間の狭間の気まずい時間みたいな、そういう無駄な時間が無かったように思う。

 

結構メジャーな曲やってくれてたので知ってる〜〜という盛り上がりも味わえた みんな楽しそうでした