Technique-600THz

前夜すべて

4.20

ミュージカルにおいて、一度出てきた歌に違うメロディ重なるタイプの二重唱だと思ったら、そもそもひとつ目の歌が二重になっていてラスト三重唱になってたときの興奮

 

 

明るい方向性の、負けんな、とか、折れんな、という言葉を掛けてもらえるというのは、普通にありがたいことなんだよな〜と思った。もちろん関係性によるけども、自分も時と場合によって同じ状況なこともあるはずだからこそ、といった関係性だと嫌さとかはないんだろうな(まあ仲間とかか)

折れる気なくても折れそうになる瞬間は訪れるし、折れそうな自分をその瞬間自覚できているかというと必ずしもそうでもなくて、声を掛けてもらったときに自分がその状態にあるんだと初めてわかることもある

(もちろん局面によっては絶対的に負けても折れてもいいことがあるんだけど)

お前は今折れなくてもいいよ、折れなければ少し先にあるものが掴めるよ、という響きを感じる「折れんな」を聞いた日だった

 

 

ひとりでいる自分にも自分で声を掛けてやることはできる

4.15

ロバート・グラスパーのライブに行ってきた。

授業までレジュメを作成していたが、早々に詰みが発生した。そういえば今日やる舞台は都合的に授業までの間で観劇できるな〜と思ってたんだった、などとチケットサイトを見るも当日券完売だった。が、そのままビルボードのサイトを見て、寝不足で回らない頭のままチケットをとっていた。今日の午前のこと。

 

音楽が/演奏が一体になっている、とか言うが、何が一体なのかというのは実のところ曖昧模糊としている。領域を広く持った線は確かに複数ではあって、プレイヤーがインプロをする形式では特に複線、複層性が強まる。その個々の音楽が絶えず形を変えながら一点に向かうときの時間のかかり方はバラバラで、しかしバラバラであるが故に、各々の持ち出すフレーズや時間の流れが互いに影響を与える。相互作用という言葉の便利さは、過去が現在に、現在が未来に与える影響、といった時間の複雑さを丸め込んでしまう。

 

ドラムもベースも手元がガチガチに見れる席だった(逆にグラスパーの手元は見れなかったけど)。ジャスティン・タイソンの攻めの姿勢がかなりみられて、トリオが彼を軸にじりじり動いていくのがわかった。途中グラスパーと正面衝突してる所があったり。

ベースをやっていてよかったな〜と今日ほど思う日はない。トラヴィスの繊細な手つきと多様な音色がどう結びついているのか、見ただけではわからないということがわかるから。多弦ベースの上、エフェクターで遊ぶところが主の箇所もあって、うーーん想像力の必要な楽器だな、と思わされた。

 

グラスパーの持つ音の紡ぎ方というのは、最早手なりかどうかを問わないような、そういう旋律の提示の仕方かもしれない。手なりであることがわかりもするが、手なりであることでのデメリット、価値の低下、音楽内容の薄さ、みたいなものがあまり無い。演奏のスタイルというよりジャンルが関係している気がする。あと思ったより鍵盤楽器の人ではなく歌の人だった。旋律が歌に近い形。

ジャズ寄りのジャンルにDJがいるってどんな感じかな〜と思っていたが、本当にライブの時空間を操っていた。めちゃくちゃ盛り上がるとかも普通に構成力の妙だが、演奏時間とそのほかの時間の狭間の気まずい時間みたいな、そういう無駄な時間が無かったように思う。

 

結構メジャーな曲やってくれてたので知ってる〜〜という盛り上がりも味わえた みんな楽しそうでした

4.6

歩く速度が思考を進める 波打つ視界よりもうねる音の方がよっぽど広がりをもつ

うねるを通りこして、自分の体が溶け出してしまっている気がする

音がただの音というだけでないことが音楽を作る手を動かしているんだな〜と思う

時間と空間を伴って、今ここにある自分の思考と体を波の向こうへ連れ去ってくれる

実際に耳から流れ込まなくても

 

 

そろそろコンテンツ感想文を作成したい。2時間程度のコンテンツを通しで見ることが必要。映画とかではなくやはり音楽コンテンツだな。映画はたいてい焦点を絞らざるを得ないから。散漫に驚いたりしたい。

 

 

一生会わないし連絡も取らない気でいたのに呆気なくその気が崩された こういうとき、ずるずるやられてしまうので危ない 斥力がまだ無い(というか不自然でない)間合いでこちらの牙城を崩す人間というのは厄介だ

 

 

げんかい!ねる!となってから始まるカラオケ大会が連日開催されている。隣の部屋の人に聞かれている可能性が0とは言えないのが気まずいところだが、まあ何も言われなければ聞こえてないも同然ですし。歌うのは楽しい。

 

3.31

心身の乖離を感じるため春があまり好きではない。と思いきや夏になった。どういうこと?夏になると日中出歩けないからすごく早起きしなくてはいけない

来月はとにかく体調維持第一でやっていきたい

とはいいつつ、気温が高いと外に居やすいので散歩はしたくなる

 

 

今月頭が遠い昔のよう。いろんな人に会えた。

 

 

二軒目でめちゃくちゃ張り切る人、という話題を見かけて、二軒目やりたいな〜と思った。喫茶店の二軒目とか。二軒目特有のわくわく?とかがあるような、ないような。宴席回(?)だと一軒目より人数が少なくなるから二軒目を好む人がいるのもなんとなくわかる。二軒目から合流もいいな。合流って特有のよさがありません?自分は、誰かが別の用事をこなしているのを待ちながら茶をしばいたりするのが割と好き。あと、夕食の時間を過ぎてから電車に乗って合流するのも良い感じ

 

 

ベースは姿勢にかなり左右されることがわかったのでとりあえず適正な椅子が欲しい。管楽器は横隔膜や気道の問題だけで(いや結構そういう意味では姿勢は大事だけど)発音自体は割とどうにでもなる。ベースは逆に、そもそも発音(撥弦?)が身体に大きく左右されるので、最初の方でうまくやれてないと余計な力みのせいで全く弾けないままという状態になる

日に日に弾けるようになる。この楽器が自分向きということがわかる。自分向きとわかるとますます弾けるようになる

 

 

鴨南蛮食べたい

 

 

他人の行動や意志で自分の行動や意志が揺らぐこと、削がれることのないように

自分が構築する思考、その構築にかかる時間や、材料となるメディウムを不信へ落とすことのないように

他人が諦めても自分が諦めることのないように

諦めないための根拠となるような鍛錬をひとりでも続けること、誰かがやめても続けること

誰かが見せかけの手助けをし始めるかもしれないけれど、結局誰しも最後まで付き合う訳ではないので、自分で自分の土台を作る意志を保つこと

3.24

乾燥が激しい日と今日みたいにやや空気が水気を含んだ日の落差が激しい

 

旅に出たいのに気がついたら休みとかがおわっていて、ひょっとして旅というのはお休みに入る前に計画しておくものなんだろうか?と思いました。どうなんですかね。近場でもいいからとにかく違う時間を過ごしたいわけですが…

 

 

 

不用意な言葉、仕草、最近多すぎるので考えもの

 

 

信用とは蜃気楼のようなものだね

 

 

自分の思考の編み方は、静かな時間と過ぎゆく街並みと適切な明るさ、そして没頭する物事の合間に依るものなので、それが揃わないとなかなか質の良い思考にならないかもしれない。温室栽培?

3.18

先日、久しぶりに散歩ができてよかった。久しぶりの友達とも会えたし

 

春通り越して夏

 

えーーーーい!!迷う前に手を動かせ月間

 

とりあえずやってみれば?という示唆と同時に、いくつかの指針を立てる手伝いをしてもらった。大まかにはこうだが、しかし幾つかポイントがあるのでそこは外さない方がいいね、という考え方がらしいな〜と思った。とにかく数撃てそして当てろ、ということに尽きる。終止線を引いて自分でその責任を引き受けるということ。作り続けることを否定せずそれを前提に話してくれていることがありがたかった。

 

 

観測している対象、まさかの2誌同時に表紙巻頭特集でびっくりした。しかも誌面が充実している雑誌

 

 

舞台雑誌って4誌くらいあるけど割とシーズンの大きな催しがあると4誌全部の表紙特集がそれになることがあり、今回もそれかもしれない(4誌全部に同じ人間の顔が載ってるのがおもしろい)

3.9

後輩とご飯を食べにいった。本当はすぐ寝てやることをやらねばならないのだけどもう仕方ないよね!!という気持ち

 

 

 

すごく嬉しいことがあって、本当に大切な経験だった。自分のやっていることのよく分からなさにかまけて、よく知らない人にそれらを話す時、いつも曖昧にぼかしたり単純にしすぎたり偽ったりするのだが、そういうのを随分前からやめた。相手が本当に沢山いろいろ話しかけてくれて、それがサービスだとしてもちゃんと応えたかったから。それが実ったのかどうか分からないけど、自分のやっていることを見に来てくれた(というかそもそも、学外で音楽などをやらない知り合いはなんと殆ど来てくれた)。社会との対峙、その小さな糸目でもちゃんと結んでおきたかったのかもしれない。

 

 

高校の同期(部活の)って言葉にしなくても疎通できるものが恐らくあるから偶に会うとすこしうるりとくる。というか、あんなに敬愛をくれる人達なんていないよな、と思う。

 

 

風が強すぎて普通に声出た

 

 

来てほしい人が来てくれなくて少し悲しかった。圧倒的に自分の考えの遠く及ばない人間なので仕方ないんですが。。。

 

 

死ぬほど自分の至らない音を聴かされる体験、前回に引き続き若干の苦行

 

 

 

喜久福とかいう萩の月よりも個人的に好きな食べ物が目の前に存在していてびっくりした。

 

 

少しくらい疲れていた方がユーモア(とかよく知らないけど)への余裕とかもある(勝手によく分からないこと言ってるだけかも)

 

 

 

指示を聞くこと。指示を仰ぐこと。考えて動くこと。自分のことに集中しすぎないこと。自分で勝手に区切りをつけないこと。を、今回も達成できた。これは高校とかその辺、昔から自分で決めていることで、自分の限界を決めないための最低限の心がけだった。ある程度の人数が関わり身体を動かす場で、自分が心地よく閉じてしまうことを避ける。現実的に危険なこともあるし。

 

 

 

 

おわらねーーーーー!!!!!!がんばれ!!!

 

 

友達がくれたマグカップ、色彩とフォルムが素敵すぎてくらくらする