Technique-600THz

前夜すべて

2.29

よくご飯を食べ運動し寝ることが、実に何ごとにおいても有効であるということを、毎回毎回毎回、腐るほど実感している。机の前に座っているだけで身体がボロボロになっていく。長距離を走ったり筋トレしたりSASUKEとかしてるわけじゃないのに。汗を流さないで身体を消耗することの後ろめたさといったらない。美学哲学的な身体とか考える前に物理的な身体の方をなんとかしないといけない。散歩を毎日2時間したい。無理ですが。

 

これほど研究が自分の音の運びを支えることがかつてあっただろうか。いやあるんですけどね。研究している事柄と作品の乖離を感じる段階、というのが割と少なくない人にあると思うのだけど、まあそれは普通に直結してないだけですからね〜という確信を改めて持てた。というかちゃんと研究も作品もやらないとその連結に気づかないだけ、という気がする。

 

 

歌うことをやめないこと。息で音楽を作る代わりに。

歌えないと代わりに耳を酷使して無駄な音を聞かなくてはいけなくなる。

 

 

言動がちょっと社交的すぎる場面があるにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜という反省

 

 

学外における日常生活圏のつながりが少しずつできあがってきていて、そこに自分の本職の話題を具体的な形で宣伝したり話したりできる。

圧倒的に希望のある日と絶望のある日

まじでTwitterって言葉がすぐ出てくる どんな作用? 精神が擦り切れた人間がTwitter使うのがほんとうによくわかる

 

 

嬉しいことがあった。

思いをしっかり目に留めて言葉を尽くす人間に感銘を受けた。途方もない道を進む最中で、その道を照らす不安定で僅かな光に気づくことができるのは、並大抵のことではない。だからそれに気づいて、互いの背負うものを御伽噺にしないで現実のものとして言語化してみせた人間に圧倒された。

 

おい!!!どんな細々とした演出も意図も全てなし崩しになるぐらい鮮烈な音楽を聴いたぞ!!!!

それまでのプログラムの全てが前座だったんじゃないかと思えるくらいの音楽で、あーーもうこれはずるいですねーーーという感じでした。得ることが多すぎた。単純に、時間を過ごすことってやっぱり高級な体験だな〜とか。

 

 

 

何もまだわかっていなくて、それ故にどんどんこれから降りかかるはずのものに及び腰になりそう、ということがわかった。何ひとつ簡単でない。自分が徹底的にだめになってしまう前に、自分が自分を信じられるようにしたくて、そのためにはバランスのとれた精神、客観と主観の往来が必要な気がする。

渦中にあっては人は自分の姿を外から見る余裕など持っているわけがない。海に溺れる人間が自分の身のこなしを脳裏に描けるわけがない。どう考えても距離が必要で、その距離を取るのが難しいという状態が問題として横たわっている。冷静に切り分けろ。方法を見つけろ。

 

他人に弱みを見せないのは、それを開陳した途端、その弱みを食い潰す怠惰な精神の人間が群がってくるから。他者の心をひらいて自分の手が触れるようにすることは、常に暴力的で、自己満足でしかない。なにかを分かち合いたいというような言葉に押し込める醜悪さ、恥、それを自覚する苦しみ。そもそも分かち合うことすら無数の言葉と時間と精神とを必要とするという途方もなさ。それでも人に触れて息をしたいというどうしようもない苦しみ。これらをスキップして一方的に貪ることがどんなに浅ましいか。

しかし、浅ましいが故に批判されるべきなのではなくて、自分の身はこれっぽっちも開け渡さずに人を弄するが故に、非難されるべきなのだと思う。

 

 

他人のための堪え性のない人間は生きるに値しないと個人的には思うのだが、そうでなくても生きていられるのは他人を足蹴にしているからだろ。足蹴にしていても誰も止めないで、いつしかみんな忘れるからだろ。

よかったね。生きるのに誰の許可も必要でなくて。みんなを守るものだからね。

 

 

この世で沈みゆく絶望的観測とこの世を泳げる希望的観測とが背中合わせのまま常にある。つねに絶望は現実がもたらし、希望は理想がもたらす。しかし理想に支えられるのが今この瞬間の、ひいては明日の自分なのだとしたら、誰の目も掻い潜って理想を抱いていたい。

2.19

人から貰い物をすることだとか、久しぶりに連絡を取ったり会うことが立て続けにある。こういうものは重なるんだよな〜とある人が言っていた。本当だった。

 

 

朝起きて曇り空だったけど、なんとなく好きな天気だと起きた時に思った。実際にはずっと雨がぱらついていて人によってはかなり陰鬱になるだろうけれど、それでもぬるい風が今日の自分にはちょうど良かった。街路に早咲きにもほどがある桜が立ち並んでいた。

 

 

遊びの場などで責められている人に対して、「言い返せ」とよく言う人間がいて、それがどんなものに根ざしているのかを知りたいなと思っている。キャッチボールにした方がエンタメになるから?遊びや雑談で詰められていたとしても、何も言えないままの状態はよくないと思っているから?

 

 

奇妙な関係になっている人間と、どうこの先やっていくべきか……。

2.12

夢に見るほど(慣用表現ではなく)だったベースがやってきたので今日はベース記念日

 

 

展示の期日が迫ってきて展示の夢ばかり見る。うまくいってない夢、追われる夢。

 

 

研究とか音楽とか続けてほしいって言われてふつうに嬉しかったので、ありがたかった。別に人に言われてやってるんではないけど、この人はちゃんと見てくれてるんだな、という風に自惚れるモーメントを体感することがほとんどないので